2018年2月20日火曜日

vol.15「カゲエ」

毎日、平昌オリンピックに釘付けになっている。








目はもちろんだが、それ以上に耳。ある境地に到達した者にしか発することができない言葉に触れようと、日ごと選手の言葉に耳をそばだてている。








金メダリストの羽生選手と小平選手の言葉には驚いた。日本という失語社会において、しかも肉体で語るアスリートという立場で、言葉の力を理解し尽くしている。








人は自分の言葉で自らの世界を構築する。口にした言葉が自分の世界を形づくり、その世界が自分をつくる。








その人の言葉の数は、その人が生きている世界の数。



その人の言葉の質は、その人が生きている世界の質。








その人が発する言葉を見聞きすれば、その人がどれだけの世界に住み、どんな世界に生きているのかすぐにわかる。








言葉は人そのものだ。どんなに丁寧で上品な言葉遣いを装っても、無骨でぶっきらぼうな言葉遣いであっても、言葉の姿とは関係ない。言葉の輪郭と厚みをごまかすことはできない。








言葉は「頭の言葉」と「身体の言葉」に分けられると以前書いた。代表的な「頭の言葉」は、自分を鼓舞する言葉、机上から生まれた言葉、活字から得た言葉。「身体の言葉」は体験や経験によって得た言葉。自分の言葉を持っている人は、その両方またはどちらかを、自分の一部にしている。








彼らは「頭の言葉」を前に投げて自分を引っ張る方法か、「身体の言葉」を増やして進んで行く方法のいずれかによって自分を成長させる。








頭の言葉が身体の言葉を上回るにつれて、現実から乖離した思考が増える。身体が置いてけぼりになる。身体の声を軽んじてしまう。一方、身体の言葉が頭の言葉を上回ると、今の現実から抜け出しにくくなる。一つ上のステージに上るブレークスルーの方法を見出せずに、身動きができなくなる。








自分の言葉を持っている人であっても、「頭の言葉」と「身体の言葉」のバランスを取るのは至難の業だ。しかし、羽生選手と小平選手は高いレベルでこの二つのバランスを取っている。何よりそのことに驚いた。無意識でできることではない。長い時間をかけて意識的に言葉を増やし、自分のものにしようとしている。








「頭の言葉」を未来に向かって投げ、それをアンカーにして自分を引き寄せ、「身体の言葉」を増やしてきたように感じる。本当にすばらしい。








言葉の力で自分を高めるアスリートの登場は、次の世代に大きな影響を与えるだろう。その曙光が垣間見えたことに感銘を受けた。








言葉は生き方の影絵。








彼らのこれからの影絵の姿に胸が躍る。









(了)










2018年1月20日土曜日

vol.14「ナミザイ」

質問力という言葉を初めて聞いたとき、「あ、うまい言葉だな」と思った。







質問の内容でその人のセンスがわかる。もっと正確にいうと、その人がどんなフェーズにいて、どこに向かおうとしているのか。それが手に取るようにわかる。







その意味で、質問というのは力そのもの。相手の力量を推し量る力、自分の無知を隠そうとしない胆力、それを相手に伝えて言葉を引き出すコミュニケーション力。それらをひとつに束ねたものが質問力と呼ばれるのだろう。







こういうことを書いていると、印象的な質問がひとつ思い浮かぶ。







「どうすれば本当に人から尊敬され、人を尊敬できるようになりますか?」







当時、その質問者は社会人三年目。たびたび仕事や将来のことで相談を受けていた。「本当に」という部分が気になり、真意を訪ねると、彼はこう答えた。







「立場や肩書きや属性で人を尊敬したり、されたりするのは簡単なことです。でも、その人の人間性だけで他人を尊敬したり、されたりするのは、すごいことだと思います」







何が彼にそんな質問をさせたのか、すぐにわかった。遠くから憧れていた風景も、いざ近くに寄ってみると粗が見える。社会的に尊敬の対象となりやすい職業も肩書きを持つ人も、憧れ以上である場合は少ない。近景は遠景を裏切るものだ。







しかし、彼のすごさは、「所詮そういうもの」という諦めにも似た思考停止で終わらせないところにあった。人から尊敬される方法を探す人は珍しくない。しかし、人を尊敬する方法を考える人は、めったにいない。彼の質問力の大きさは、器の大きさそのものでもあった。







僕は吉川英治の「宮本武蔵」の中で、宮本武蔵が語った言葉を紹介した。












波騒は世の常である。

波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い、雑魚は踊る。

けれど、誰か知ろう、

百尺下の水の心を。水の深さを。












「本当の意味で人から尊敬される人とは、百尺下の水の心を知った者。または、水の深さを知った者。

本当の意味で人を尊敬できる人とは、百尺下の水の心を知った者。または、知ろうとしている者。水の深さを知った者。または、知ろうとしている者。

だろうね」







そう答えた。







(了)